愛するということ 第一章 2


を忘れて読んだ。
振り返ってみれば、僕の父は母が亡くなってからいうもの、何かに没頭する様子でこの
部屋に一人閉じこもって居た。その父がこの書斎で倒れたあの日の夜、確かに母が最期を
迎えた日に起きた現象と同じく、家中の明かりが更に熱を発するように、光を大きく隅々
まではじいた記憶がある。僕は何気にふと、そう思い出しては、再び記憶の片隅にそれを
戻し読書を続けた。
父は自然と海がとても好き。この家が建つ土地は、白浜から近い場所に位置しており、
僕が小さい頃、夕方の心地よい時間帯に、よく散歩などして楽しんだ。その思い出は、今
も鮮明と色濃い。父の遺品の中には、とても古い写真があるが、それはそのままこの部屋
に残しておいた。その内の一枚の背景には、その海辺が隙間を埋めるようにして映ってい
る。
全ての原稿を手に取り読み終えた。
と、その時、出窓から風が爽やかに入り込んだ。あの日もきっとこれと同じ匂いがもう
一つの体をすり抜けたのかも知れない。片方のレースカーテンが一枚、風と同調して靡い
ている。
僕は流れた涙をそのままに、出窓の外へ顔を向けた。目を閉じ深呼吸する。優しさが胸
を包み込むとても気持ちよい感覚を、今、感謝と共に実感した。
愛すると言う事 第一章
一九七六年
――

沖縄日本軍全滅から三十一年後となる昭和五十一年の七月。正樹はこの世に生を受けた。
日本に明るく奏で始めた昭和の鼓動がまだ止まぬ世界。人々の顔はどれも力強く逞しか
った。しかし、アメリカより日本に返還されてから四年が経とうとしていたこの沖縄の大
地には、今だ深い傷跡が生々しく残されていた。
澄んだ珊瑚礁の海がこの島をとても優しく包み込む。かけ上がりの白い砂浜では穏やか
な潮騒が聞こえた。大きなガジュマルの木の葉が東風で揺れる。その一枚一枚が、天空か
ら突き刺す熱い太陽を遮り、島人に涼しい日陰の場を提供していた。
十三日となるこの日の夜は新月で、街灯のない場所はとても暗闇だったが、その代りと
して星が綺麗に映し出されており、正樹の父、次郎は、空調設備の整っていない産婦人科
院の開いた窓から観る事が出来た。母、靖子は寝室で寝ている。
次郎は階段の手すりを杖代わりにしながら産婦人科院の屋上まで上ってみた。腐食され
た横長いベンチ一つと灰皿代わりである一斗缶が無造作に置かれてある。彼はその汚いベ
ンチに構わず腰掛け、胸ポケットから安タバコを取り出しマッチで火をつけた。
次郎は約一ヶ月前から無職。つい最近まで従兄弟の職場で内部大工の作業員として雇わ
れていたのだが、金銭的な問題から人間関係がこじれ、傷害事件を起こしてしまい、首と
なった。
彼は首となった明後日から同職の知り合いなどに仕事を当たっていたが、気性の荒い事
が有名だった次郎を受け入れてくれる所はなく非常に困っていた。
次郎は建築関係の職人だった為、プライドが人一倍に高かった。今更、今までとは全く
違う新しい世界での仕事を一から教わる事が許せないでいた。いや、正直怖かった。
次郎は一服し、煙を星の見える夜空へ吐き出した。
収入は前の仕事よりも目減りするが、一人で行動するタクシー乗務員でもしてみるか。
それなら、この腐れプライドも保たれるだろう。少しばかりして、ほとぼりが冷めた頃に、
また元の職に戻れば良い。今はそれしか道はない。
意を決した彼は、タバコの火を地面のコンクリートでもみ消し、そいつを一斗缶へほう
り捨てた。
我、波乱万丈なる人生なり
――

あれから数年後、靖子が四男を出産したあたりから、生活は刻一刻と行き詰っていった。
家庭崩壊へのカウントダウンは、この頃からあたかも運命の如く動き出していた。
次郎は、三男の正樹ではなく、四男の松田亮が誕生した後、職人の世界へ戻った。しか
し、職を転々とする人間は直に受け入れられる事が無く、また、数年以上の離職が、何度
も重大なミスを誘った。
何事にも循環という性質があるが、次郎の場合、正にそこから悪循環の毎日が襲い掛か
った。過去の事件までこの世界では信用があり、当然のように大きな現場を仕切る職長な
どこなしていた。
それが今ではなんとも無様で情けない姿が
――

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