愛するということ第二章 14


「由美子さん! 大丈夫ですか?」
意識を取り戻し目を開いた由美子に、掃除婦の真知子はそう発声した。彼女の隣には、
夜間管理を任せている代理人の西岡澄子の姿もあった。
「あぁ ……

由美子は安堵と異常な精神の疲れから出た唸り声のようなため息を吐いた。
「良かった。とりあえず、これで最悪は免れましたね」
まだうつろな由美子の視界に入らない場所から、聞き覚えの無い声が聞こえた。由美子
は真知子と代理人の向かいとなる方向へ顔を向けてみた。するとそこには、沼田由美子が
この先、運命の出会いを果たした後、一番弟子となり、そして生涯『先生』と崇める『ユ
タ』こと、霊媒師、上村倫子の姿があった。
「首の方、大丈夫ですか? 痛みますか?」
由美子の首筋に出来た青黒く変色した手形の濃いアザを、優しく暖かい指先でなぞる様
に確認しながら倫子が語りかけた。とっさに由美子は自身の首筋に手を当てた。手形の青
筋は、大分腫れてもいるようだ。
「ええ、大丈夫です。あの、貴女は一体 ……

凹凸のある首筋部分をさすりながら由美子が問いかけると「霊媒師さんですよ」と、真
知子が横から割り込むようにして軽く説明してくれた。
「『上村神霊経治所』の上村倫子と言います」
「『上村神霊経治所』 ……
ああ、知ってます。南町の奥にある神社の様な屋敷で、確か一族
で大分古くから『ユタ家業』をやってるとか」
由美子は、意識を完全に正常な状態へと戻した事を認識させる口調でいて、かつ多少驚
き動揺した様子を表面化させて話した。
由美子はこの日まで『ユタ』という物に対して、オカルティックなる神頼み的な異色の
存在でいて、かつ『ユタ』が行う除霊の効果に関して、それには全くの科学的根拠が無く、
そして何よりも噂でこの手の詐欺事件をよく耳にしていた為、全ては完璧な偽物とみなし
ていた。まさか
……
。しかし、それは現実に起こった
――
。心霊現象という奇妙な体験を良
からずとも体験した由美子は、これまでの概念を見事なまでに覆された。 ―― もう一つの世界は実在する。彼女は、この時初めてそう確信した。
この後も、倫子による除霊は続いた。
由美子と真知子は業務用通路へと避難させられ、代理人である西岡澄子は業務へと戻っ
た。部屋の中には倫子だけが残っている。二人は通路側から108号室のドアの前に佇み、
遮蔽された向こう側を耳で注意深く確認していた。経を読む声や何やら独り言のような対
話が、確かに、そして小さくこぼれて聞こえていた。
やがて、全ての音は『無』を意識させる様に止まった。 ――
除霊は終わったのか? 果た
して成功したのだろうか? 二人は、視線を合わせ言葉無しに語った。
108号室の管理用ドアのノブが回った。扉が音を立てる事無くゆっくりと開かれる。
しかし、倫子が開けたであろうドアの前に彼女の姿は見えない。部屋の中は光を反射させ
る事無く、あたかも全てを吸い込み抹消しているかの如く真っ暗だ。とても信じられない
闇の色に、二人は完全に言葉を失った。
彼女らは底無しに暗い部屋の床に、足を踏み入れる事を躊躇った。何故なら、この部屋
を支配する暗闇は、彼女らの目に入る室内の辺りだけではなく、なんと基礎となりうる地
面さえも完全なる『無』に感じさせたからだ。
由美子は唖然としながらも『悪夢』を振り返り、思考を巡らせた。これはまさか
……

私の見たもう一つの世界では?
次の瞬間、二人が入る事を躊躇する部屋のドアが、まるで彼女らの鼓膜を破るかの様に、
力強く、叩きつける様にして閉まった。

ドーン

と言う破壊的なる音響が、通路一面に行
き渡った。これは一体、どういう事なのか? 二人は後方へと状態を退くようにして驚い
た後、再度顔を見合わせて思った。
由美子は、落ち着きを取り戻した後『108号室』と札が貼られたドアのノブに、手を
やった。そして回した。が、しかしその後、次なる順序へと移す事がどうしても出来ない。
彼女は迷っていた。これもドアの開閉同様に、今行われている除霊と言う神秘的な業にお
ける一つの『順序』と言う事なのでは? もしそうであるのならば、ここで第三者の自分
が中へ割り込む事は絶対のTABOOであるはず。ノブを握り締めた由美子の手のひらは、
いつの間にそこから滑り落ちるほどに汗を滲ませていた。彼女が次なるステップに躊躇し
た状態が約十秒ほど続いた後、突然、彼女の濡れた手の中にあるノブが前方へと滑るよう
に、するりと抜けた。扉は開かれた。部屋には光が戻っていた。しかし、何かが違う。と
にかく室内とは思えぬほどに、上から照りつける光がとても明るく見えた。由美子は、フ
ローリングであるはずの床を確認した。そこには床ではなく、どうやら土間と化して居る

コメント

人気の投稿