愛するということ 第二章 3



何やら身体の全体から蒼い炎のようなガスを放出している彼の目は、とても悲しい出来
事を芯から伺わせていた。
知子が彼の眼差しを五秒ほど見つめた。その時、これまで彼の体験した沖縄戦における
全ての出来事が、あたかも自分の記憶の如く、彼女の脳を鮮明に色濃く駆け巡った。
凄まじい念から波動が発生している。知子はフラッシュバックに似た現象の世界へと追
いやられ、そしてとうとう記憶の中の人物に化そうとしていた。一瞬、ストロボの様な大
きな光が部屋中に放たれた。何処からともなく突然放たれた光と共に、知子はまるで電脳
が映し出した様な記憶の世界で彼の妹に化した。
二人は今、地下鉄のホームに向かい合って立っている。彼女は目の前に立つ兄の顔を涙
目にじっと見つめていた。兄はとても優しくて明るい笑顔を見せていた。
「お母さんの事、頼んだぞ」
「お兄ちゃん ……

千人針を渡したあのホームで、美子と誠はとても悲しく辛い別れを体験した。
彼は自ら命を絶つために南の島へ今日旅立つ。万歳三唱があちらこちらで大きく響きな
がらコチラまで聞こえていた。
兄は最後まで涙を見せなかった。列車の四角い窓から満面の笑顔を覗かせて、彼女の目
に入る最後の最後まで帽子を握り締めた手を思いっきり振っていた。しかし本当は妹の見
えなくなった列車の中で我慢する事無く激しく号泣した。そして思いを込めて念じた。
美子
……
。お兄ちゃん、お前とお国の為に立派に死んで来るからな。
知子は現在の世界へ戻った。彼を見つめたまま止まった目からは大粒の涙が溢れ、流れ
て行った。
「一緒に帰ろう」
彼は最後にそう一言放ち、優しい眼差しで手を伸ばした。彼女の魂は完全に彼の記憶の
中へ抜け出ていた。今、知子は、彼が没した場面を見終え、そして彼と彼女以外には何も
無い真っ白の世界に居る。
「知子! 知子
――
!」
何処からとも無く母の声が聞こえてきた。しかし、今の彼女は美子であり、知子ではな
かった。
「だれだろう?」
彼女は一旦足を止めた後、声のする方向を振り向いた。が、しかし、再び彼女は戦没者
と手を繋ぎながら終着のない白い世界を何処までも歩いていった。
翌日の朝、知子の抜け殻は倫子の弟子たちによって除霊所へ運ばれていた。第一の発見
者は家政婦。倫子は家から大分離れた地区へ訪問除霊に行っていた為、除霊を終えた後そ
の依頼者の計らいで宿泊していた。彼女が知らせを受けたのはその訪問宅にて朝食をご馳
走になっている時。

――
あ、はい、お世話になってます。はい、先生ですか? はい、あっ、ちょっと待って
下さい。今、代わりますので」
家主の妻は受話器を置くと倫子の方へ伝えに行った。
「先生、ご自宅の方から電話が来てますよ」
その電話で事細かく状況を知らされた。弟子達は倫子のスケジュールを予め知っていた
為、連絡をこうやって取り付けることが出来た。それだけが幸い。
「うむ、分かった。うん、うん
――

ここから自分の拠点までは距離があるため、戻るには少し時間が掛かる。やむなく倫子
は今だに未熟とも言える二番弟子に「応急処置を施した後、自分が戻るまでの間、除霊所
の一室に監禁して置く様に」と指示した。そして受話器を置いた後、こんな時に限って一
番弟子を連れて来た事に対して思いきり悔やんだ。
「先生、どうしました?」
一番弟子の由美子が訊いた。
「知子が、知子がちょっとな」
「まさか!」
やり取りで大まかに察していた由美子が絶句した。
「うん、とにかく急がねば」
「ああ、それならタクシーを呼びましょう」
隣で聞いていた家主もただならぬ事態を察してか、そう発した。
「すみません、コチラまでご迷惑かけてしまって」
「いえいえ、良いんですよ。気になさらないで下さい。おい、裕子。丸善タクシーに電話

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