愛するということ 第二章 1



母屋の広い敷地内に聳え立つガジュマルの森で遊ぶのが昔から好き。理由は、彼女らにし
か見えない特別な動物が居るかららしい。聞く所によるとその奇妙な動物は頭髪が濃い赤
色で肌が全身土色、背丈は彼女らと同じ位。樹齢百年以上ある大きなガジュマルにのみ生
息すると言われている悪戯好きの

キジムナー

であろう事は間違いない。倫子はその動物
の話を晩御飯の時間にうんざりするほど聞かされていた。姉妹はそろってその動物の名前
を「チャッピー」と呼んでいたが、母はそれがガジュマルの妖精でありちゃんとした呼び
名がある事を知っていたが、二人を気遣ってか、その話をしばらくの間伏せていた。
倫子は火炎放射器や毒ガスの煙幕によって黒く焦げ付いた鍾乳洞、いわゆる沖縄の方言
で言う

ガマ

へ弟子と共に巡礼していた。彼女の除霊所である神社のような大きな建物の
奥方には、最も悲惨で悪霊の数と力が最大。よって、もはや除霊は困難とされるガマの入
り口が潜めてあった。このガマの存在を娘二人へ絶対に話す事はしない。
このガマの入り口には大きくがっしりとした鉄の門扉があり、その扉には鍵が二重三重
に掛けられ、そして門の存在を隠すように大きな神棚などがその手前に奉られていた。そ
の神棚からは左右に白い綱が建物の外へとずっと伸びており、そこからガマの上にある森
すべてを一周して囲っていた。とても巨大な結界である。
非常に強力なる結界は、実はそこだけではなく、万一に備え、姉妹が遊ぶもう一つの森
や母屋一帯にも別の手法を用いて張り巡らされていた。幸いな事に、白い砂利道を挟んで
ある二つの森の内、一つ目の結界が張ってある森には、白ペンキに塗られた塀が行く手の
侵入を阻んでおり、また、その森は戦時中、アメリカ軍によるガマ包囲網の際、極めて局
地的に緑が消された状態から甦生させたものなので、古い大木などは一切無く、よって二
人の好きな妖精は居ない事から、倫子が注意するまでも無く、姉妹はもう一方の森には興
味など持たずに立ち入る事はなかった。
上村姉妹は親も違い年齢も五歳離れていたが、それらを感じさせる事が無い位に、当然
の如く毎日とても仲が良かった。母の職業柄、周囲から気味悪がられていた為、地元の友
達には恵まれていない。日曜は決まって部屋で読書や勉強する姉、知子。恵はその後ろで
落書き風に絵を描いたりするのが常であった。晴れて気持ちの良い日は森へ出て妖精と共
にくつろいだり花を摘んだりして楽しんだ。
倫子は、沖縄で「ユタ」と呼ばれる霊媒師の中でも特に権威のある立場で、依頼の電話
が引切り無しに鳴るほどに、とても多忙な日々を過ごしていた。その為、強力な結界が張
られた神社のような造りの大きな除霊所や母屋などに居る事がほとんど無く、特に最近で
は夜中にかけて一刻を争う緊急な除霊の為に外出を余儀なくされていた。それほどまでに
この島はユタの存在を昔から崇め頼りにして来た。
食事や各建物の管理はいつも弟子や家政婦の仕事。この日の夜も料理の上手い家政婦の
一人が姉妹の夕食を用意していた。彼女らには父親こそ居ないものの、家計はとても恵ま
れていたので、倫子は姉妹が欲しい物などあれば何でも買ってやり、食事に関してもなる
べく贅沢なメニューにするよう家政婦に指示していた。
彼女は自分の職業で姉妹が世間に対して肩身の狭い思いをしている事を知っていた。そ
して

ユタ

は、上村家の先祖代々から受け継がれた特殊な能力であり、自分の人生もまた
同じ様なものだった。娘たちの寂しさは良く知っていた。
知子を出産した際、

ユタ

と言う職を辞めようか迷った。しかし、この能力を放棄する
事は出来なかった。何故なら、この能力は大人になればなるほどに、普通見えるべきでは
ないとても恐ろしい物体が嫌でも余計に見えてくるからである。ガマの結界の件もある。
やはりこの状況では普通の生活は送れない。倫子は

神から与えられた宿命

だと諦めるし
かなかった。姉妹も何時かはそうなるであろうと言う事に関して、身ごもった時から確信
を抱いている。二人の娘共に何度も堕胎しようか迷った。しかし出来なかった。結界等に
関しては、自分が他界する前にでも弟子へ跡を継がせれば良い。が、しかし、彼女は身ご
もった胎児を堕胎する事がどうしても出来なかった。
恵が小学生に上がる頃、倫子は一人思った。やはり生んで良かった。しかし倫子はこの
時、何か不幸の前兆なる

静かで音の無い西風

を心の何処かに受けているのを感じて居た。
倫子はこの日の朝も母屋の一室にある仏壇で御経を唱えながら彼女らの無事を念じてい
た。不吉な何かはとても近くに居る。
「ねえ、お姉ちゃん」
恵が銀色のフォークをくるくると空中へ描くように遊ばせながら発した。
「何? あっ! ちょっとまって。今、良い所だから」
姉の知子はゆっくりと食事をしながらテレビに見入っている。今、最も人気のバラエテ
ィー番組が始まっていた。
「今日、お姉ちゃんも見たんでしょ?」
この言葉を聞いた瞬間、知子が全身を硬直させたのを恵は悟った。

コメント

人気の投稿