愛するということ 第二章 2




「何が?」
知子は何食わぬ素振りで恵の目をチラリと見つめ、視線をテレビに戻す。
「だ、か、らぁ、兵隊さん」
知子の素振りを注意深く伺いながら恵は話した。
「あの人さ、何処から来たのかな?」
「知らない。私は見てないから。気のせいじゃないの? 多分、芝刈りのおじさんよ。ほ
ら、あのおじさんも兵隊さんみたいな格好してるでしょ? 多分そうだよ」
知子はその場しのぎでそう話したが、恵は嘘を付いている事を完全に察した。
「お姉ちゃんの隣にくっ付いて一緒に読書してたのに?」
知子は再び硬直した。震えた手で持っていたフォークを皿の上に置く。
「お姉ちゃん。隠しても駄目だよぉ。恵、チャッピーと一緒に見たんだから」
「だから違うってば! もうこの話はしないで。いい加減にしないと怒るわよ」
知子は十一歳になった頃、ガマの話しや霊的現象を恵に内緒で密かに聞かされていた。
そして万一、日本兵を見た場合は絶対に目を合わしてはいけないと言う事を注意されてい
た。この類の怨霊と話をした場合、普通の人間ならば即座に魂を抜き取られ呪が移る。但
し、怨霊などという何か特殊で異様な物体は十二歳以上の人間でないと興味を示さないら
しい。知子はこのとき既に思春期を迎えていた。十四歳。
沖縄戦没者の霊は結界を越えて日増しに現れるようになった。どうやら弟子達の知らぬ
箇所で結界が破られているようだ。妖精の数も大分減ってきた。長の倫子ですら特に最近
多忙でこの事には今日まで気付いていない。正に、第二の結界内に居る恵以外の人間全て
が危険にさらされている状況。しかし、知子は倫子に話さないで居た。二重に包囲してあ
る結界の話まではまだ聞かされていなかったのである。つまり、結界の存在までは全く知
らなかったのだ。
知子は無視を続ければ何時かは居なくなるだろうと勝手に決め付けていた。だから周囲
に相談するのではなく、一刻も早く

さ迷う日本兵

における

出来事

を、忘れる事に専念
した。しかし駄目。あの瞬間から男は、誰も周囲に居ない時間だけだが、知子に完全に纏
わりついた。何故かは分からないが、どうしても彼は彼女に存在を気付いて欲しいようだ。
そして沈黙は、結界が破壊され始めてから三日目の今夜、遂に破られた。
美子、美子
……

知子の寝室にうねる様な声がしつこく響いている。
霊が纏わりついてからというもの、妹を自分の部屋で寝るよう話していた為、恵はこの
部屋には居なかった。知子は上向きで寝た状態のまま強烈な金縛り状態にあった。
窓外に見える夜空は快晴だと言うのに、不自然にもこの奇妙な現象の時だけは、しごく
室内の湿度が高かった。シーツの上に敷いたタオルケットが、雨が降ったかのようにびし
ょびしょに濡れているのを肌で感じ取れた。
彼女は精神的に我慢の限界。これで今夜も含み、三日三晩まともに寝れていない。いや、
一睡たりとも寝かしてはもらえなかった。
知子はとうとう我慢できず、決着をつける決意をした。
「貴方、誰なの?」
上を向いたまま恐々と言った。彼はベッドの直隣に立っている。
「俺だよ
……
。誠だよ
……

不思議な事にこの唸るような声は彼の立つ方向からではなく、知子の頭上かつこだま含み
に響きながら聞こえた。
「美子 ……
。美子
……
。お前、無事に生きていたのか?」
どうやら知子の事を、彼の知る別の女性と錯覚しているらしい。
「どうしてこんな所に居る? ここは敵が多くて危険だ。早く東京の実家に戻れ」
少し間をおいてから続けざまに男は言った。彼は妹と誤解している様だ。男は終戦に気
付いていない。沖縄戦で没し魂となった時間から一時たりとも時代が経過していない。や
はり母が言うように何十年経った平和なこの世界でも戦争は未だに終結しては居なかった。
「私、その人じゃありません。もう付き纏わないで下さい」
「何を言ってるんだ! お兄ちゃんを忘れたのか?」
怨霊の不思議な力が弱まったせいか、男の声はその口元があるであろう方向から正しく
はっきり聞こえてきた。知子の金縛りが完全に解かれた。
彼女はそのまま仰向けの状態から声のする方向へ顔を向けた。しかし次の瞬間、再び強
烈な金縛りが襲い掛かってきた。もはや目を逸らす事は出来ない。知子は正にこの時から
万事休した。

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