@沖縄蒲鉾(かまぼこ)に舌鼓を打ちつつ


@沖縄蒲鉾(かまぼこ)に舌鼓を打ちつつ
 
 早いもので、もう七月を迎えて新暦の七夕を過ぎた。かれこれ私も、もう四十四歳だ。人生の半分を通り越したことになる。これからは人生の下り坂。それでも余生はやり残しのないように楽しく過ごしたいと願うばかりである。
 考えてみると、川上未映子さんが「乳と卵」で芥川賞を受賞した2008年頃から、私は活発に動いているような気がする。2006年に処女作品である「愛するということ」を脱稿してから、本当に色んな賞へこの作品をたらいまわしのように応募した。ようやく諦め色が出たのが2008年。川上さんが帝国ホテルで芥川賞を受賞した。
 皮肉な話で、その彼女と再会を果たしてしまう。ツイッターにおいて、インスタグラムにおいて。当時から、彼女に私の作品を読んでもらって、編集者へ出版について推奨してくれないかどうか考えあぐねていた。それ位に彼女には私の運命の鍵を握っているような気がしたから。その思いは通じただろうか? 今ではフォローを外したのでわからない。
 私は世に出てはいけない人間なのだろうかと、悩み、苦しみ、藻掻く、ときがある。そんなとき、制御装置として働くのは、いつも決まって公式ヒロキリスト達の存在である。彼女らにはいつも、私が人生から乖離しそうになった時、助けてもらっている。その恩はビジネスシーンにおいて常々還元しているつもりだ。
 生まれた時から飼っている猫の様子が最近おかしくて、直近で猫会議みたいな集会を開いているのを目撃した。その日に私自身も、何やら怪しげな殺気じみたものを感じたので、恐らくは津波関連でなのだろうなと。つまりはこれから猫ちゃんたちは民族大移動をして、安全な高台へ避難するのだろうなと。その予感がズバリと的中するようにして、本日、近所の高台でそれら集まりを目撃した。うちの猫は近所のボス猫で、恐らくは先陣を切ってファミリーを高台へ避難させたのだろうなと。直近からうちん所の猫はなかなか帰ってくることをせず、いつも以上に腹を空かせて帰ってくるものだから、やれ、ファミリーのえさの確保やら、縄張り争いにおける戦いなどして、相当、疲れているのだなと。それにしても、その津波とやらはいつ何時来るのやらで、いつ来ても良い様に、公式達とも手はずを整えているのだけれども、一向に来る気配がないものだから、もしかしたら助かったのかなと。しかしまだまだ油断はできないので、毎日、メモリーカードでの保存が欠かせないところではある。しかしながら、最悪、死んでも構わないとさえ思ってはいるけれど。
 悲しくなってくるニュースが時々舞い込んでくるのだけれども、それについて耐性がついてきたのか、今では割り切ることができる。そして私はどうすればいいのかについて考える機会を得る。何も語らないことも確かに一理あるけれども、けれども私の正義感とやらがそれを拒んでしまったり。まあ、いつか決着するときがくる。そのときこそ本当に何とかしなければならない。その日は来るのだろうか? 私が生きているうちにあるのだろうか? 無いかもしれない。何かに拒まれているから。それは運命的なものなのか、はたまた運命をゆがめられた工作なのかは知らない。もしも工作なら。天はこの世界に壊滅的な災いをもたらすだろう。それは私の過去が語っていることでもある。私を不幸に陥れた者は、皆、惨いざまで朽ち果てるか死に絶えている。私という人間は神がかり的なものがあるから、祟りというものは本当に恐ろしいものだと痛感している。しかしながら、運命をゆがめられることすら運命だったりもする。命びろいというやつだ。九死に一生。
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