@アジの開きフライが、今どきの好物である。



@アジの開きフライが、今どきの好物である。

 アジの開きフライがとにかく美味しく感じるのはなぜだろうか? それについて時々考えることがある。ただ単に、「年を重ねたから」だけではないような。しかし、それが言いえて的を得ているような気がして、一番、腑に落ちるところではあるけれども。
 朝起きて水を一杯飲んだ後、洗顔し、パソコンを付けて一日の作業が始まる。そのルーティーンはもう何年も続いており、不確実な要素と言えば、就寝時刻と起床時間のあいまいさのみ。実はそれが一番の悩みでもあるわけだけれども。しかしどうにもならないものがあることは確かなことだ。どうにもこうにもコントロール不可能なのである。
 私の体内時計はもしかしたら二十四時間ではないのかもしれないなと最近では思うようになった。しかしながらそれは長いというわけではなくて、実に短いスパンなのではないかなと。但し、それに限ったことではなくて、容姿に関していえば童顔なので、睡眠に関してのみ言えたことなわけだけれども。
 貴方はとても言葉が巧みでロマンチストね。そんな言葉をよくいただくのだが、それについて私自身は意識したことが無く、唯々、自然体にそうなっているだけなのだ。そのことについていえば、おそらくは詩人という職がそうさせているのだろうなと。そう思ったりなんかして。けれども、こうして毎日文章を捻出している職業柄、否応なしにも言葉が巧みになることは確かな答えだ。
 私は昔、二十代のころまではO型特有の、その場を盛り上げることが大好きで、盛り上げ役の隊長というか、宴会部長をやって居たりしたことがある。けれども結婚し、三十代を迎えるころにはすっかり落ち着いてしまっていて、今では聞き手の方が楽でいいなと、そう考えて人とは接している。それは自分を隠すことにもつながって、なんだか後味が悪いというか、秘めたる悪的な要素があるものだから、自分自身、気に食わなかったりもする。けれども、大人というものはそんなものだろうと割り切ってしまえば、本当に気持ちが楽になる。
 四十を越えてみて、気が付いてみれば友達が一人もいなくなってしまったのだけれども、それでも寂しく感じないのは何故だろうか? 逆に一人でありたいという気持ちの方が大きく働くのは何故だろう? つまりは、自分は羊の皮をかぶりあった付き合いというものに疲れ切ってしまっていたのだなと思う。相手の核心的な悪魔の顔がちらついて見えるたびに、見えるようになってからというもの、友達とは所詮そんなものなのだなと、なんだか幻滅に似た脱力感が支配するばかりで。そんな嫌な思いをするくらいなら、いっそのこと一人も友達なんていらないと。そうやって何もかも投げ出してしまった。
 恐らく私のような境遇の男は世の中にごまんといることだろうと思う。四十代にして孤独な男とは、そのような感情を抱いて生きているといっても過言ではないように思う。それについて万人がそうであるならば分かりやすいのだけれども、しかし中には本当に悪い人間で、それ故にほっぽられている男も存在するものだから厄介極まりない。つまりはみんなをひとくくりに考えてはいけないということだ。その人個々で相手を見定めて行かないと、本当に良い男を逃すし、間違った男を手に入れてしまうことになる。そんな選定の中で自己アピール的にものを申させてもらえば、私は真っ白で、清純で、粋で、温厚な男だとはっきり断言させてもらう。私を選ぶということは確かに間違いないことなのだ。
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