@原付バイクと風景画 8

 @原付バイクと風景画 8

た。遥の母である咲子の様態は深刻だったが、今すぐに危篤となるわけにもいかず、彼女はなんとか今年いっぱい持てばよいかなとは考えてはいたが、実際のところはもう少し長生きがしたかったために、とにかく体調管理には神経を使っていた。里美先生はあの日の後日、咲子から遺言状をひそかに受け取っていた。中身は開いて確認してはいないが、おおよそのことは見当がつく。おそらくほとんどが相談事の時に話した通りのことが書かれているのだろうなと思った。遥が剛君と別れて部屋に着くと、咲子はやや苦しそうにしながらも、なんとか歩いておかえりなさいを言った。その光景が遥にはなんだか悲しく映っていた。しかし、なぜ自分は悲しく思うのか? 末期がんのことを知らない遥にはとうてい分からなかった。

 一学期の終業式。その日の帰りにくばられた紅白のカルカンという和風ケーキ菓子はとにかくおいしかったし、こんなものは生まれて初めての食感だったものだから、遥と剛は口をそろえておいしい!と、ほころんだ。里美先生は夏休みも学校に出勤しなければならず、やはり日曜日しか絵を一緒に書く機会はなかったが、それでも遥はとてもうれしかったし、咲子にとってはとてもありがたかった。夏休みはとにかく長い休みだ。宮古島も沖縄本島と同じく、製糖工場がフル稼働していて、そのそばを通ると、肥料界のケーキと言うキビの搾りかすが発酵して臭くなった香りがした。遥と剛はそれを我慢しながら工場内へと入り込み、職員たちから黒砂糖をもらっていた。

「黒砂糖、おいしいだろ?」

 剛が訊く。

「うん、おいしい!」

「遥の北海道はこんなのなかっただろ?」

「どうしてわかるの?」

「だって、サトウキビは沖縄だけだってオジー(おじいちゃん)が言ってたもん」

「へぇ……

「な。なんだよぅ?」

「けっこうべんきょうしてるんだね?」

「ま、まあな!」

「うふふ

 二人は海辺へ駆け足した。とてもひろい砂浜は、すこしだけ海水浴客がたむろしており独占的ではなかったが、それでも遥と剛は二人だけの世界に居た。波打ち際を蹴る。蹴りつける。互いの顔に海水が掛かる。浴びる。手ですくったりもして投げつける。そうれ――! またもや二人はびしょびしょになった。太陽はそれを急速に乾かす。暑さで乾かす。遥と剛はとうとう水の中に飛び込む。身を投じる。ばしゃんと。乾ききった肌が思い切りよく潤う。潤う。それはなんてこともなかったようにして、只々、自然任せ。成り行きでしかなかった。でも、でもね、きいて。剛君。わたしね、ずっと泳いでみたかったの。それが今日、こうして叶った。遥の願いは叶ったのだ。嗚呼、夏はいいな。ふとしたことから剛は思う。本当に良かった。と。遥が海水にひたらせた上着を剛に向けた。桃色のおさない乳首が透けて見える。剛はそれがなんだか見ていて恥ずかしかったし、なんとかならないものかと悩んだ。結果、剛は自身の上着を脱ぐことしかできなかった。俺の乳首も魅せてやる。そうとまでは思わなかったが、とにかく上半身を遥に見せたかった。たくましい上半身を見て、遥は何だか乳首が勃起した。そうでもなかった。まだまだ二人は幼い。そこまで性的感情を持ち合わせてはいなかったものだから、正直、男と女と言うよりは只の友達。それでしかなかった。そうであった。ねえねえ、追いかけっこしよう。遥が言う。ここでか? 泳いだ状態でするのか? と、剛はそう尋ねたつもり。遥は返した。そうよ と。ふたりはまるでトビウオのようにして海面を飛んだり跳ねたりしながら、こちらからあそこのほうへと移動していく。それはごく自然なこと。ここに砂浜があったとして、いやちがう。あくまでも砂浜の上に海水があるわけで、その中に遥と剛は遊んで居るわけだが、どうやらそこの世界は、あたかもドルフィンスルーをするボディーボーダーのように、サーファーのように、そして、イルカの恋人同士のように辺り中からは見えた。やがては疲れ切った。つかれてしまっていた。遥と剛は陸に上がると、斜めにある砂浜の上で横になった。敷物などは一切ない。只々、太陽を体中で受けたかったし、洋服を乾かしたかったせいもある。とにかく二人は横になった。顔に照らされる太陽は、しごくきもちよかった。

「はるか、沖縄きもちいいだろ?」

「うん……、とってもきもちいい」

「そうだろ? この島は最高だぜ!」

「うん……

 ふたりは大の字で横になったままの状態で、目をつむっては黙り込んだ。とても静かな海。いや、すこしだけ海水浴者の声だとか聞こえてはきたが、そんなものはどうでもよかった。それを耳音から省けば波音しか聞こえてこないのである。そんな状態。ふたりにとってこの海は遥と剛しか存在していないかのよう。裸の君と僕。素っ裸のわたしときみ。それはまた大げさな話ではあるが。服はちゃんとつけていたし、透けていた遥の乳首も上着が乾いて見えなくなっていた。見ようとはしなかった。剛はおもった。なんだか手をつなぎたいな――。と。まあ、その夢に関して、今日はかなわなかったのだが、それでも剛は今日と言う日がとても素晴らしく感じた。それはまた、遥も同じ。服が完全と乾いてから、こんどは暑苦しさが全身を覆うと、遥と剛は家路につきたくなった。けっきょく、今日のところはもう帰ろう。そう言う話になった。二人はバイバイをしてから帰った。

 家に着いた。するとどうだろう? おかえりなさいと発するはずのお母さんが、見るところによると、何だかとても苦しそうにしているではないか。ここではじめて遥は、おかあさんが危ないと言う事を、肌でとても深く実感した。

おかあさん――

 遥はどうしてよいのか分からず、あたふたと路頭に迷っている。それに対して息切れした咲子は一言伝えた。それが最後の声。会話。

は、はるか……。おかあさん、ね、まもなくだから……。里美先生にはなしして……。は、はるか……、はるか、げんきで……げんきに、い、いきるのよ……”

 ごほごほごほ――! と、咲子はうなだれて倒れた。痙攣しているようだった。遥はたまらず、横になった咲子に上から抱きついた。

おかあさぁん! いやぁ――

 涙があふれる。なぜだろうか? 混乱した遥には分からなかった。

おかあさん! おかあさん! おかあさぁん!

 やがて多量涙は頬を伝った。それは咲子も同じ。

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