原付バイクと風景画 10

 原付バイクと風景画 10

 遥は、まいにちまいにち里美に与えられた自室にこもって絵を描いていた。それは里美には決して見せはしなかった。はるかちゃん、なにをかいているの?時々、里美先生は訊く。ないしょです。遥は、里美に敬語をいつまでも使った。里美は彼女のお母さんではない。あくまでも先生でしかなかった。それが里美はさびしかったが、仕方のないことね、時が解決してくれるわ。だけれど、そうでなくても良いものね。と、ため息交じりに考えていた。遥の絵が完成した。とうとう里美に見せる時が来たのだ。コンクールの絵だもの。いつかは見せなければならなかった。一人だけのものにはできなかった。それは、遥にとって、それほど重要なことではなかった。いつかは見てもらう。いろんなひとに自分の思いを確認してほしかったし、自分をあからさまに表現したアートだったものだから、それはもう芸術の域をこの年で越えていたわけだが、遥は、みんなに見てほしかった。それが彼女の願いだったのだ。里美は彼女の絵を確認した。そして感動の余り、思い切りよく泣いた。油絵ではない画用紙に描かれた水彩画は、裸の咲子にくるまれた幼女、遥の姿。恋しそうに母乳を飲んでいるその光景は、遥にとってすべての思いが込められているかのよう。色使い、構成、何もかもが天才的で、とても素晴らしかった。里美先生はこの時感じた。この絵は彼女の代表作になるわ。と。大切に保管してもらわなければ――。そう思った。

 

 

 小学二年の二学期がはじま

 旧盆から気温が幾分落ち着きを見せた。しかしながら、しのぎの暑さは残されていたこの時期は、なんだか遥にとって心地よかったけれど、彼女自身、まだあの日から何一つ整理はできていなかったものだから、季節の変わり目というものは時として酷な感じがしていた。それでも時は進む。そう悟らされているかのようで、心地よさと同時に不快も感じた。夏休みは剛とも遊ばずに、肖像画と風景画ばかり書いていた。コンクールに提出予定の作品は、聖母マリヤのようなあの絵だと決めていたものだから、そのあとに書いた作品たちに対して、そんなに気を張るようなことはしなかったが、それでも大好きな絵だったものだから、しっかりと書くようにはしていた。このころには、遥が里美のことを、いつまでも先生、先生と呼ぶのはもう慣れっこにはなっていたが、それでも里美先生はあきらめることなく、しっかりお母さんの役を演じていた。

 遥はまいにち、まいにち、骨壺の中に居る咲子の骨に向かって独り言をつぶやいていた。じつはいうと、納骨は済ませていなかったのだ。それが咲子の願いだったわけだから。遺言にそう書かれていたし、里美もそれもそうよね。と思っていた。骨は北海道に埋めてほしいと書かれてあった。それがいつになるのかは知らない。わからないけれど、いつかは遥ちゃんと北海道へ旅行がてら行かなければならないなと里美は考えていた。

 いよいよ全国絵画コンクールの提出日が来た。

 それは二学期が始まってすぐのことだったものだから、そんなに待った、待ちわびた、と言うわけではなかった。しかしながら、なにしろ全国のコンクールなものだから、結果発表は二学期の終わりころと、非常に待たされることになるわけだが。里美は確信していた。この絵は最優秀賞を受賞すると言う事を。色々妄想を膨らました。文部省で表彰状をもらうのかしらだとか、東京へ行くには綺麗なお洋服が必要だとか、それらは経費で落とせるのかしら? など、事細かく考えてはため息が出る始末で、まるで遥ちゃんではなくて里美先生が受賞するのでは? というくらいに、里美は張り切っていた。しかしながら、それを遥ちゃんに見せることはなかった。彼女はまだ落ち込んだ状態のままだ。すこしずつ、すこしずつ、明るい遥に戻してゆこう。そう決め込んでいた。

 剛君は学校で遥に明るく振舞っていた。大好きな遥ちゃんを早く元気にしたかった。ただそれだけ。その一心。遥もなるべくは笑顔を見せるようになった。しかしながら、どこかしら作り笑いに見えた。それが剛君は残念だとおもったし、やっぱり傷が深いのだなと感じた。放課後はいつも学校内で剛といた。帰りが里美先生と一緒だったのだ。それについて里美は合鍵を渡して先に帰っててもいいのよ。とは言っていたのだが、遥がどうしても遠慮している様子。やはり、人のおうちという意識が強かったのだろう。二学期はずっとそんな調子。

 剛君は、まいにちまいにち、夕方五時まで遥に付き添った。五時は里美先生の仕事である教師の終了時刻。やはり、剛君と里美先生の住まいも道が異なっていたが、剛は母親に自転車を買ってもらって、それで里美先生の住まいまで遥を見送っていた。本当に純情な恋。遥ちゃんが好きで好きでたまらなかった。

 毎週日曜日は絵のレッスンだ。

 この日も学科を終わらしてから絵を描いた。もうすこし涼しくなる秋口になるまでは室内で絵を描いた。だけども、旧盆は夏休みで終えているために、二学期の残暑はそう長くはなかった。秋になると、また岬の絵を描きに出かけた。ポークおにぎりをこさえたり、サンドウィッチを用意したりなんかした。とにかくおいしく三人で食べた。剛君も絵の授業を毎週受けるようになっていた。

 二学期と言えば、運動会だ。

 遥はもちろん里美先生と一緒に大型テントの中で昼食をとったのだが、その二人だけのさびしい雰囲気というか重苦しさに周りの島民たちは黙っていられず、こぞって弁当のおかずを物々交換しながら笑い話をした。それが里美先生にはうれしかったし、遥ちゃんも時折、笑顔を見せた。小学二年生の出し物は午前の部ですべて終わったものだから、昼食後は解散になっていた。しかし、遥は里美を待たなければならず、ひとり、ぽつんと運動場の端で立ち尽くしていた。今日は剛君も家族と一緒に帰。遥ちゃんは、午後の部の時間帯、ひっきりなしに咲子のことを考えていた。とても幸せだったとは言えない生活だったが、遥にとってはそれが全てであったために、何も貧乏だからだとか、父親がいないだとか、関係なかった。関係なく温かい母子家庭。父親はいつか出所してくるだろう。それについては考えてもいなかったが、忘れたようにして思い出せなかったのだが、でも、それでも、記憶のどこかには父親の存在が見え隠れしていた。はて、どんな人だったのだろうか? 咲子の企てにより本当に思い出せない遥ちゃんにとって母への唯一の憎しみと言えば、当然ながら父親を消去されたこと。

 いつだっただろうか? 二学期の途中で釣り大会があった。クラスのみんなとイカ釣り大会をしたのだ。宮古島はイカのメッカでもあるわけだが、そう言われるくらいに一人あたり三杯は真っ昼間に釣れた。それでも全滅しないのだから、どれほど沢山居るのかはご想像の通り。沖縄県のイカは高級魚でアオリイカと言った。墨もまた素晴らしく美味で、

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