原付バイクと風景画 23

 原付バイクと風景画 23

いすら覚えなかった。突然、遥の長い黒髪のロングヘアーが風になびいた様子。彼女はそれを悟ると、只々、まっすぐに前を向いた。ずっとずっと奥の方に光が見える。それはいくつも散りばめており、まるで星々を思わせた。遥は気が付。わたしはいま、横になっていて、そして夜空を眺めていると言う事に。重力を感じなかったものだから、それすら分からないまま。でも、わかった。嗚呼、きれい……。何年振りかしら? いえ、ことしの冬に旅先で見たはずよ。そうよ、そうにきまっている。だってそうでしょう? これは幻でも何でもないのだから。ここは現実の世界。そして、わたしは生きているのだわ。

 彼女の事件は、スリップによる衝突事故。すべったあのあと、原付バイクごとよろめきながら対抗車両とぶつかったのだ。あの時はもうだめかとさえ思った。でも、わたしは生きているのね。なんてすてきなんでしょう。嗚呼、そして今、綺麗な星々を素っ裸で見る贅沢をしているのよ。ここはまるでヌーディストビーチ。それこそ平和の象徴だわ。そうよ、これはまさに芸術なのよ。すてき……

 遥はまぶたを閉じて息を深く吸い込んだ。するとどうだろうか? 何か声が聞こえてくるではないか。なに? 私は満足なの。いま、命一杯幸せを感じているの。起こさないで。しかし声は近づいた。聞き覚えのある声。剛だ。剛君ではない剛。わたしを破壊した剛さんだわ。どうしましょう! わたし、裸なの。お願い、助けて。だれか助けて――! 嗚呼……、わたしは淫乱では決してないわ。剛さん、だってそうでしょ? わたしがそうであったなら、この名前に矛盾点が生じる。私は兒玉遥。そう、こだましてはるかかなたまで届くの。大切な思いが。でも、その大切な思いって、いったい、なに? いえ、そんなことは始めからわかってることじゃない。私はお母さんのためにも生きるの。大切に学ぶべきなの。そして明日という遥かなたに届けるのよ。そうよ、そうに決まっている。剛さん、だから、だからやめて! そんなこといけないわ。わたしと同じで、あなたも目を覚ますの。もっと大事な思いがあるはずよ。そうよ、それがわたしたちを生んだ母親の願いでもあるの。そしてお父さん……。わたしはお父さんと一線を越えてしまったけれど、ええ、もう二度と会う事はないわ。さよならの代わりだったの。さよならを言えないわたしの、せめてもの償いだったのよ。でもそれは違う。償うべきは彼の方だったの。それでもわたしはお父さんを責めたりなんかしない。わたしはね、もう大人になったの。剛さん、そう、あなたがわたしを大人にしたのよ。だから言わせて。ありがとう、剛さん。ありがとう――

 

 あ、り、が、とう……

 

 遥がこん睡状態から目を覚ました。

 ありがとう、ありがとう、ありがとう。何回でもつぶやく。その声に力はなかったが、代わりとして命の鼓動を感じさせた。脈動を感じた。遥ちゃん……。遥ちゃん……。誰か女性の声が聞こえる。はて、だれだろう? 彼女は朦朧とした意識の中で、ふと思いを寄せてみた。こ、このこえは……。遥は気が付いた。この声、そう、このこえは里美、里美先生だわ。突然、はっとして思考が目まぐるしく回る。巡る。嗚呼、せんせい。里美先生。わたし、わたしね、もううそをつきたくはないの。心にごまかしたくないのよ。わたしは、わたしは、もう帰りたいの。帰りたくて帰りたくてたまらないの。そう、沖縄に、宮古島に。でも、どうやってそれを伝えればよくて。おばあちゃんは認めないに決まっているし、実際、これまで斉藤家には相当面倒見てもらったわ。わたしが大学へ苦労なく通えたのも、今の立場があるのも、全部そのおかげ。だから斉藤家とは切っても切れないのよ。じゃあ、どうすればよいの? おしえて、里美先生。おしえてください。おねがいします、教えてください。里美先生。嗚呼、私はこのまま死ぬのだわ。九死に一生を得たなんて嘘。生き返るなんてすべては幻よ。わたしは死んだの。ここで。この世界で。だってそうでしょう? わたしはわたしでしかないのよ。生まれかえったところで、お母さんもいない、里美先生もいない。斉藤家すらそっぽむく普通の女なの。まあ、どうしてでしょう。わたしは分からないわ。どうして、どうして、沖縄に帰ってはいけないのか。どうして、どうして、どうして。でもね、里美先生。きいてください。わたしはもう疲れてしまいました。絵を描くことに疲れたんです。そうよ、わたしが絵を描くことに何の意味もなさなかった。ただそれだけのことで、ずっとわたし悩んでいたのだわ。絵を捨てれば宮古島に帰れるのでしょう? 違いますか? 里美先生。どうなんですか? わたし、わたしは……

「はるか! 遥ちゃん――!」

 おばあちゃんの声がとどく。

 嗚呼、やっぱりいつものわたしに戻るのだわ。いつもの毎日。それでいいじゃない。絵を描くことが仕事なんてとてもすてきよ。それを捨ててまで沖縄に帰りたいだなんて、わたしはどうかしてる。そう、今はお婆ちゃんの子なのだから。わたし、東京で生涯を終えます。さよなら、里美先生。

「さ、よ、な、ら……

「さよなら? はるか! あなたは生きているのよ――!」

「おばあ、ちゃん……。そう、だった……

「しっかりしなさい! はるか、もう大丈夫よ――!」

「嗚呼……

 すべては幻だったのか。なんて残念な夢だったのだろう。遥は思った。ひどい、ひどすぎる思考回路だわ。わたしはやっぱりどうかしているのね。嗚呼、ごめんなさい。おばあちゃん。おかあさん。お婆ちゃんは彼女の手を力強くやさしく握りしめている。おもむろに担当医が、ペンライトで瞳孔の確認や各所関節などを確かめていた。機器音が聞こえる。心拍数を測る機械だろう。この場所は空気が乾いており、とても涼しかった。その代わりとして様々な消毒液の匂いが、幾度となく鼻を突く。天井は白くて、視界の端にカーテンが垂れていた。

「残念ですが、下半身に後遺症が残っています――

 担当医の声が遥の耳に届いた瞬間。彼女は一瞬、はっとした。

「そんな……

 お婆ちゃんがそう絶句すると、家族が、命は助かったのだから。ほら、お婆ちゃん、しっかりして。などと励ます。遥は何の事だかさっぱり。いまだに意識が正常ではない。朦朧としたものはないが、それでも意識は遠いのだ。彼女はもう一度目を閉じて眠りたかった。目を閉じた。

 翌日、目を覚ました時には、異なる場所に居ることが容易分かった。病室だ。個室である。係りつけの看護婦がそこにはいて、遥の尿を世話しているのが分かった。この個室

コメント