オーミチャー 7

 オーミチャー 7

 何も映らない辺りを見渡してみる。その直前。

 全身を手探りしたオーミチャーは自身が素っ裸だということに唖然とした。そして思い出した。自身が誰なのか、どうしてここに居るのかさえも、分かった。

 そう、わたしはやよい。浴室でリストカットしたわたしなのよ。じゃあ、これってわたしの鮮血なのかしら? 

 屈んで滑りをもう一度触れる。まちがいなかった。

 でも、どうして臭いの? あれから時間がひどく経ったと言う事かしら? ねえ? 茜。そういうことなの? 

 返事が来ない。代わりとして遠く響いてきた茜の声が聞こえた。

 わたしとあなたは、とうとう完全入れ替わるのよ。

 え? どういうこと? 

 あなたはね、あなたは死んだの。ここで。浴室の中で。

 ここは浴室の中なの? え? どういうこと? どういうことなの? 

 混乱する。茜の姿はいまだ見えない。そのとき。

 脳天に思い切りよく茜の姿が浮かび上がった。そう、さいしょに部屋の窓から観たあの時の姿のままで。やよいは記憶をさかのぼる。間違いなく彼女。

「やよい。いえ、オーミチャー。あなたはね死んだのよ。何度も言わせないで」

「わたしは死んだ? それはほんとうなの?」

「これはあなたが選んだ運命。自ら望んだこと。なにをいまさら生き返りたいのかしら? それって、わがままではないのかしら」

「でも……。わたし、本当は死ねないの。だってそうでしょう?」

「トンミーの事?」

「ええ、そうよ。それに、わたしが死んでしまえば、あなたにだって少なからず影響するじゃない。わたしの体があってこそなんですもの。それとも、ちがうの?」

「あなたは何もわかっていない。チャンチャラ可笑しくてよ。いい? これはあなたの精神が死んだと言う事。身体でも何でもない。あなたはもうここから抜け出れないわ。残念ね? でもそうでしょう? あなたは罪を犯したのですもの。大罪を犯してしまったのだわ」

「大罪?」

「そうよ。自ら命を絶とうとした行為こそ、神に背いた大罪なのよ」

「でも、わたしは結局のところ死なないのでしょう?」

「そう、わたしのものになって今後も生き抜くのよ。それとも嫌なのかしら?」

 わたしは生きたい。やっぱり生きなきゃならないの――

 ここで辺りに目をやる。当然、何も見えない。だがしかし、そのかわりとして何やら生暖かい風がこちらへ吹いているような気がした。

 これは……? はて、何処から吹いているのだろう? そこにはきっかけになる物か何かがあるのかしら? 

 考える。答えは見つからない。

 やよいは急激な睡魔に襲われた。

 にげて。にげるのよ。

 いったいなにから? 

 現実からよ。わたしは未来を自分でかえることができる。そのきっかけをつかむの。

 そうかしら? あなたはもう死んだの。一生懸命になることなんかないじゃない。

 でもきいて、わたしは生きることに決めた。確かに自身で命を絶とうとしたわ。でもね、ちがうの。わたしは生きるつもりだったのよ。あの後に続きがこうしてあるように、わたしの運命にも終わりはまだ早いような気がするわ。だからね、生きるのよ。

 そう、それならよくてよ。戻りましょう。現実の未来へ。あの後が見たい? 

 ええ。

 それなら目を閉じて感じればいいわ。あの浴槽の出来事を。

 それだけでいいの? 

 そうよ。答えはシンプル。常にね。

 やよいは眠った。そして螺旋状に渦を巻いた光の配列を目撃する。

 わあ、とてもきれい……。これは蛍かしら? 蛍の群れなの? 

 いいえ、これはあなたの、あなた自身の生命なのよ。

 生命? 

 そう、わかるかしら? 

 突然、フラッシュのような、光が焚かれた明るすぎる空間を観る。なんだったの? 今の? そう考える間もなくて、彼女は病室のベッドで目を覚ます。

 こ、ここは……。現実の世界。

 そう、第二章の始まりよ。あなたが選んだ、その先がここなの。さあ、楽しみましょう。醜い世界を。酷い目に遭いながら。うふふ

「先生、患者が目を覚ましました――!」

 駆けつけの担当医が瞳孔をペンライトで確認する。もう大丈夫ですよ。目を覚まして本当に良かった。ショック状態で意識不明だったのですよ。先生はそう言った。やよいは白い天井を観た。嗚呼、わたし、生き返ったんだ……。よかった……

「やよいちゃん――!」

 彼女は一瞬、凍りつく。その声は――! そう、その男は紛れもなく自身を犯した当直の先生。なんて図々しい人なの? あなたが、あなたがわたしを追い詰めたのじゃない! まるで第三者気分ね。あきれた人、飽きれた人。そして、恐ろしい人。

「それでは先生。わたしとやよいちゃんの二人きりにしてもらえますか?」

 当直の先生は言う。まって! この人とわたしの二人だけにしないで! 殺されちゃう。どうしよう、殺されちゃうわ。もう戻りたくはないの、あの空間へは行きたくない。だってそうでしょう? 完全と暗闇だったんですもの。あんなところに一生閉じ込められるなんて御免よ! わたし、わたし逃げなきゃ。ここから今すぐに逃走しなきゃ。でも、どうやって? 

 茜が出てくる。それならトイレへ行くっていえばいいじゃない。簡単な話でしょ? うふふ

 そ、そうね。トイレから逃げればいいのだわ。わたし立たなきゃ。今すぐに点滴を外さなきゃ。ゆらゆらと上半身をベッドから上げる。トイレへ行かせてください。発すると、点滴を付けたまま(移動式の点滴台車)で、ふらりふらりと病室から歩んだ。

 トイレへ着く。誰もいない。点滴を外すには絶好。外す。意識はまだ朦朧としていてしっかりしない。さて、どうしたものか。本当に逃げ切れるかしら? 

 ドアの外には看護師が待っている。これをどうにかふり払わなければならない。茜が言う。外の空気をひとりで吸いに行くと言えばよいのでは? うふふ そ、そうね。そういえば大丈夫かも。しかし、それは簡単なことではなかった。

「やよいさん? 点滴はどうしたのですか?」

「じゃ、邪魔なのではずしちゃいました。あの、散歩へ行きたいのですけど……

 駄目じゃないですか――! 看護師が点滴を付け直す。それからこう言った。

「点滴を付けたままなら散歩も構いません。但し、二階にある広いテラスのみで、です」

 外出は禁止なのですか? 

 はい、そうです。それと、テラスの入り口辺りでわたしが待っていますので、何かあれば戻ってきてください。

 は、はい……

 万事は休した、とおもった。こうなったら一刻も早く退院したのち、施設から逃げるしかない――。そう考えたとたん、やよいはこの場でやる気が失せてしまった。

「やっぱり病室へ戻って寝ます」

 そうですか、よかった――。看護師は面倒な患者だと思っているに違いない。そう思う。戻った先には当直の先生が椅子に腰かけて待っているに違いなかった。やよいはつぶやく。わたしといえばね、あの人こそがうっとおしいの。しぶしぶ病室へ戻り当直の先生が傍らで見守る中、ベッドへ横になる。後はわたしにお任せください。当直の先生は真摯にそう発した。それでは。とだけ告げると看護師は居なくなった。

「よお、オーミチャー」

 先ほどとは人が変わったようにして当直の先生は発する。それについてぎょっとしたやよいは、全身をこわばらせた。

 こわい、こわいの。ねえ、だれか。誰か助けて……

 助けなど来るはずがないだろう? お前はもう俺から逃げられないんだよ。ほうれ! ゴミ袋をかぶれや、この醜いブタ野郎。

 はぅっ! そんなこといけない! 嗚呼! でも感じちゃうのぅ――! 

 わたしはマゾヒストのオーミチャー。そして淫乱な茜でもあるのよ。それは避けて通れないわね。しかたがない。それならば楽しみましょう このセックス劇場を。ゴミ袋ジャンクハンバーグを。

 いやよ、そんなのぜったいに嫌――

 やよいは逃げた。思わずベッドから飛び出すようにして駆け出しで逃げたのだ。でも、一体、どこへ逃げればいいと言うの? わたしには施設しか帰るところがないの。おねがい茜。お願いだから少し知恵を頂戴。嗚呼、わたし……。わたし……

 ちかくの交番へ急いで! 茜の声が聞こえてきた。

 こ、交番? 

 そうよ、交番よ。あとは流れに任せればよいわ。わたしからは以上。

 ちょっとまって! そのあとは? そのあとはどうなっちゃうの? 

 だから言っているでしょう? 流れに任せればよいの。未来は神のみぞ知る、でしょ。

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