愛するということ 1
- I sey love -
『愛するということ』
著者 滝川寛之
*
人は誰しも悪に出会う。
それは彼方此方に散らばっていて、
あたかも生活の中に必要だと言わんばかりに当然と存在する。
人は誰もが悪になる時がある。
様々な欲望と欲求が支配したこの世界で生きる僕らは、
それを避けては通れない事なのかも知れない。
人は誰も悪にやられてしまう事がある。
それは一体何時だろうか?
毎日一時一時を怖く恐れて生きなければならない。
僕は思った。
人は果たして変われるだろうか?
そして人は夢を見る。どうかチャンスを与えて下さいと。
あなたは人が倒れようとしている時、優しくなれるだろうか?
それが例え人ではなく他の生き物だとしたらどうだろう?
僕は願った。
あなたは変われますか?
ほら、よく見てごらんよ。愛は捨てたもんじゃない。
神は言った。
失うときほど大切だと気付くことはない。
あなたは本当に思っていますか?
あなたは本当に抱いていますか?
本当のあなたは何処に行ってしまったのだろうか?
探す勇気を失ってしまったのか?
それは自分にしか分からないこと。
だから大切に生きて下さい。
そして感じて下さい。
あなたは全てに生かされているのだから。
拾い上げてみよう。
そうすれば、あなたもきっと優しくなれるはず。
愛すると言う事 プロローグ
ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。
彼は世にいた。言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵とまこととに満ちていた――。
二〇四四年六月の初夏――。
僕の父である上間正樹は、一年前に亡くなった母の後を追うようにしてこの世を去った。
四十九日が終わる頃、父の残した数々の遺品等の整理や処分などは、ほとんど全て片付いていた。後は落ち着いた頃を見計らってだが、上等の木箱に収められている父が執筆したであろうこの原稿に、ゆっくりと丁寧に目を通すだけ。今日がその日に丁度ふさわしかった。僕は書斎の中でその自伝らしき原稿の一つ一つを丁寧に、手に取り、途方もなく時を忘れて読んだ。
振り返ってみれば、僕の父は母が亡くなってからいうもの、何かに没頭する様子でこの部屋に一人閉じこもって居た。その父がこの書斎で倒れたあの日の夜、確かに母が最期を迎えた日に起きた現象と同じく、家中の明かりが更に熱を発するように、光を大きく隅々まではじいた記憶がある。僕は何気にふと、そう思い出しては、再び記憶の片隅にそれを戻し読書を続けた。
父は自然と海がとても好き。この家が建つ土地は、白浜から近い場所に位置しており、僕が小さい頃、夕方の心地よい時間帯に、よく散歩などして楽しんだ。その思い出は、今も鮮明と色濃い。父の遺品の中には、とても古い写真があるが、それはそのままこの部屋に残しておいた。その内の一枚の背景には、その海辺が隙間を埋めるようにして映っている。
全ての原稿を手に取り読み終えた。
と、その時、出窓から風が爽やかに入り込んだ。あの日もきっとこれと同じ匂いがもう一つの体をすり抜けたのかも知れない。片方のレースカーテンが一枚、風と同調して靡いている。
僕は流れた涙をそのままに、出窓の外へ顔を向けた。目を閉じ深呼吸する。優しさが胸を包み込むとても気持ちよい感覚を、今、感謝と共に実感した。
愛すると言う事 第一章
一九七六年――。
沖縄日本軍全滅から三十一年後となる昭和五十一年の七月。正樹はこの世に生を受けた。
日本に明るく奏で始めた昭和の鼓動がまだ止まぬ世界。人々の顔はどれも力強く逞しかった。しかし、アメリカより日本に返還されてから四年が経とうとしていたこの沖縄の大地には、今だ深い傷跡が生々しく残されていた。
澄んだ珊瑚礁の海がこの島をとても優しく包み込む。かけ上がりの白い砂浜では穏やかな潮騒が聞こえた。大きなガジュマルの木の葉が東風で揺れる。その一枚一枚が、天空から突き刺す熱い太陽を遮り、島人に涼しい日陰の場を提供していた。
十三日となるこの日の夜は新月で、街灯のない場所はとても暗闇だったが、その代りとして星が綺麗に映し出されており、正樹の父、次郎は、空調設備の整っていない産婦人科院の開いた窓から観る事が出来た。母、靖子は寝室で寝ている。
次郎は階段の手すりを杖代わりにしながら産婦人科院の屋上まで上ってみた。腐食された横長いベンチ一つと灰皿代わりである一斗缶が無造作に置かれてある。彼はその汚いベンチに構わず腰掛け、胸ポケットから安タバコを取り出しマッチで火をつけた。
次郎は約一ヶ月前から無職。つい最近まで従兄弟の職場で内部大工の作業員として雇われていたのだが、金銭的な問題から人間関係がこじれ、傷害事件を起こしてしまい、首となった。
彼は首となった明後日から同職の知り合いなどに仕事を当たっていたが、気性の荒い事が有名だった次郎を受け入れてくれる所はなく非常に困っていた。
次郎は建築関係の職人だった為、プライドが人一倍に高かった。今更、今までとは全く違う新しい世界での仕事を一から教わる事が許せないでいた。いや、正直怖かった。
次郎は一服し、煙を星の見える夜空へ吐き出した。
収入は前の仕事よりも目減りするが、一人で行動するタクシー乗務員でもしてみるか。それなら、この腐れプライドも保たれるだろう。少しばかりして、ほとぼりが冷めた頃に、また元の職に戻れば良い。今はそれしか道はない。
意を決した彼は、タバコの火を地面のコンクリートでもみ消し、そいつを一斗缶へほうり捨てた。
我、波乱万丈なる人生なり――。
あれから数年後、靖子が四男を出産したあたりから、生活は刻一刻と行き詰っていった。家庭崩壊へのカウントダウンは、この頃からあたかも運命の如く動き出していた。
次郎は、三男の正樹ではなく、四男の松田亮が誕生した後、職人の世界へ戻った。しかし、職を転々とする人間は直に受け入れられる事が無く、また、数年以上の離職が、何度も重大なミスを誘った。
何事にも循環という性質があるが、次郎の場合、正にそこから悪循環の毎日が襲い掛かった。過去の事件までこの世界では信用があり、当然のように大きな現場を仕切る職長などこなしていた。
それが今ではなんとも無様で情けない姿が――。
もはや次郎の精神状態はやりきれない所まで全身に行き届いた。帰宅後は酷く酒を浴び、弱い立場の靖子へ憂さ晴らしに暴力を振るう。それが毎晩続いた。
それからあの事件――。
その日の夜、靖子は出刃包丁をしっかり握り締めていた。
著書一覧と連絡先 ファンボックス マガジン 写真素材 占い鑑定 慈善活動
コメント
コメントを投稿