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小説家で詩人、占い師の滝川寛之(滝寛月)の国際的なブログです。エッセイ、コラム、時事論評、日記、書評、散文詩、小説、礼拝、占いにまつわること、お知らせ、など更新しています。よろしくね。
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愛するということ 44
民家のある部屋の外に位置していて、部屋の明かりが窓から何気なしにこちら側へとこぼれている。その窓の隙間から、誰か大人の男性一人が正樹に気付くことなく身を潜めて中を覗いていた。どうやらこの者は変質者らしい――と、正樹は直ぐに勘付いた。
正樹は試しに声を出そうとした。が、しかし、その時。
突然、男は窓の隙間から目を離し、この民家から何件目かの家へと足音を殺しながらも、しかし急ぐように正樹をすり抜け逃げて行った。
「誰?」
一足遅く女が部屋の窓を思い切りに開けて顔を覗かせた。恵だ。
正樹は突然のことに驚きの表情を浮かべた。彼は思わず壁をすり抜けて恵が居る部屋の中へと入り込んだ。部屋には、恵の他に誰かは分からない大人二人が居た。家主夫婦だろう。それは考えるまでもなかった。恵の話し方から察するに、その夫婦は恵のいとこか何かなのかと正樹はふと思った。施設を出てから恵へ会いに行ったとき、園長から聞いていた話とこの時を彼は結びつけないで居たのだ。いや、突然のことで思い出せなかった。夫婦は里親だと正樹が気付いたのは、その後の話から。
恵は家の主達に今の出来事を話している。すると、何と言うことか、健二と姉の小百合の事がいきなり話題に出てきた。そして正樹は、健二の姉である小百合が里親に出ている最中に自殺したと言う事を此処で初めて知った。
正樹は殴り合いの喧嘩の後、健二に吐き捨てた言葉を思い出した。
「お前は人生も含めて全部クズだ。もしかして、姉貴もそうなのか?」
あの時、腹を立てた健二の顔には、深い悲しみもうっすらと確かに見えた。事を知った正樹は、とても深く心が痛んだ。
恵が突然、とても哀れみに満ちた感情で泣き出した。
「何て可哀想な人なの……。壊されて、盗まれて、無くして……、幸せが見えなくなって……、過ちが間違いじゃないだなんて……。辛かったのよ。そうよ、健二のせいなんかじゃない」
恵は号泣しながらも懸命に言葉を発していた。
「恵――」
正樹は思わず声を溢した。しかし、当然それは恵には聞こえない様だった。正樹には恵が何の事を言っているのかが分かった。彼は、その恵の優しすぎる姿に改めて思い切りに心を打たれた。
若くして最悪とも言うべき形で最愛の人を亡くした途方もない苦痛は、恵にも正樹にも気持ちがよく分かる。施設という他人ではとても癒すことが出来ない寂しさの中で、健二にとって姉だけが優しさと温もりを感じる最後の存在だっただろう。それが奪われたように目の前から突然と消えた。健二は良くて性格が荒れてしまった訳じゃない。たとえ大罪でも、全ては狂わされた運命が犯した罪。これは夢か現実なのか分からないが、正樹も恵の気持ちに合わせるように、そう思う心を持ち、そして健二がいつか悔い改め報いる事を願いながら彼を許す事にした。恵は側にいる大人の女性に訊いた。
「恵美おばさん、もう一つの姉弟は幸せに生きてると思う?」
「勿論よ。天国と地獄があったとして、二つが全く同じなんてことは無い。小百合ちゃんはね、きっと天国で幸せになってるはずよ」
正樹は恵がもう一つの世界の事を指していると察した。彼はまた同じ様に、もう一つの世界の健二と小百合が、どうかとても幸せであるようにと心から願った。
正樹は無意識に再び外へフッと抜け出ては、最初居た位置に立った。そして、まるでこの光景から薄れ行くように、そこでゆっくりと目を深く閉じようとした。その時。
誰?
恵の心の声が正樹の耳に届いた。正樹は、はっきりと届いた声で目を覚ましたように意識を再びこの世界に戻した。
恵は玄関から外に出て、正樹の立つ場所まで急ぐように回り込んできた。そして彼女は、彼の目の前で立ち止まった。この時の恵は正樹が完全に見える様子。正樹は一瞬戸惑ったが、口を開いた。
「久しぶりだな、恵。元気そうで、良かった」
「あなたは、誰ですか?」
正樹はその言葉にハッとし、今の自分自身は一体何なのかを考えた。答えは出なかった。恵は相手が正樹だと言うことにまだ気付いていない。いや、気付いては居たが、まさかという気持ちの方が大きすぎた。
「お、俺は……」
正樹はそれ以上の言葉を発せなかった。何処までも優しい恵は、正樹に言った。
「怪我してるみたい。大丈夫ですか?」
恵がそっとこちらへ近付こうとした。その瞬間。
正樹自身が中学の頃の自分とノイズがかかったようにして何回もブレた。それはあたかも自分の身体が「俺は正樹だ」と発しているかのよう。恵は目を大きく見開いた。
「――正樹!」
相手は正樹だと知り、彼女が思い切りに言葉を放ってきた。正樹は返事しようとした。が、しかし、それと同時に、彼はこの場所から突然、消されてしまった。
正樹は空間の中で再び目を開いた。今のは夢だったのか? 彼には分からなかった。
一呼吸置いたあたりで、またしても正樹自身の一部が痛みもなく小さく千切れた。そして先ほどと同じ様に、一つの光景の中へとそれは消えて行った。今度はなんだろう? 正樹は再び、先ほどと同じく目を深く閉じてみた。
その世界はまるで違っていた。場所は下校時の夕方。向こう側から伸びてきている公園の中にある道を、高校生のカップルがこちらへと向かって歩いてきた。
ここは公園の高台に位置する場所で、丘の下に町並みと西海岸が一望できる。正樹の直目の前には、塗料でウッドに見せかけた固いコンクリートのベンチがあった。
制服姿の二人は、向こうから歩いてくるなり、正樹の影を通り過ぎて其処に座った。正樹の体はまるで空気の様に、二人を何の抵抗もなくすり抜けさせた。
周りには正樹と二人以外の人は見当たらない。正樹は、二人が自分の体をすり抜けた事実よりも、二人が智彦と恵である事に対して驚いた。二人はどうやら正樹の存在に気付いていない。
座り込んでから話をしだしたのは、恵の方から。
「夕日、綺麗だね……」
太陽と上空はすっかりと赤に染まっている。欠片へと変わり行く太陽の下で、地平線が涙を浮かべた様にして揺らいでいた。
「ああ、そうだな……」
智彦は恵の言葉に声で頷いた。
「正樹も同じ高校だったら良かったのに。ほら、中学の時、三人で夕日見たことあったでしょ。あの時は、本当に綺麗だったな……」
思い出に耽るように恵は呟いた。その言葉には、何となく切なさが漂って感じた。
「正樹が居ないと少し物足りないってやつか?」
恵の感情を逆撫でる様に、意地悪く智彦は恵に訊いた。
「そうじゃなくて……。ほら、ずっと三人一緒だったじゃない。だから」
恵は戸惑いながらも智彦にそう返した。
「そうだな。あいつが中学の時、転校してきてからずっとそうだった」
二人はせっかくの雰囲気が台無しになった気分。夕日が今、完全に揺らいだ地平線へ沈もうとしている。黄昏から寂しさを感じながらも、智彦が口を開いた。
「なあ、恵」
「ん?」
恵は気分悪くした様子を隠すように優しく発した。
「いい加減、正樹の話やめて、俺だけ見てくれないか?」
智彦の言葉に恵は再び戸惑いを見せた。
「御免。あたしはただ」
智彦が遮った。
「分かってる。お前は正樹の事も俺と同じくらい好きなんだろ? いや、もしかしたら俺よりもあいつの事の方が好きなのかもしれない」
苛立ちを押える様子で智彦は言った。
恵は何も返せなかった。智彦は続けた。
「でもな、恵。今、お前は俺と付き合ってる。そうだろ?」
智彦の言いたい事は尤もだった。この世界の恵は正樹とではなく智彦と交際している。だから彼は自分と正樹を同じ感情で見て欲しくなかった。恵は少し考えてから答えた。
「分かった。これからは智彦の事だけ考えるようにするね」
恵はやがて紫色に変わった空を見上げてから下へと俯いた。
彼女は呟く様に力なく智彦へ発した。
「御免ね。あたしがいつも正樹の話しするから……」
「いや、別に謝るなよ。俺はただ本気で好きになって欲しいだけだからさ」
「うん、分かってる……」
俯いた恵の横顔を長く艶のある黒髪が隠しており、横に座る智彦の方からは彼女の表情を確認する事が出来なかったが、その言葉には、薄らと涙が込上げている事が感じとれた。智彦は何だか距離を更に開けてしまったような気がして気持ちが焦った。彼は恵を此方へと引き寄せる思いで言った。
「恵。キス、しないか?」
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